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■麻生太郎首相:平成21年年頭所感
未来を創るのは、私たち自身です。
日本や世界が「どうなるか」ではなく、私たち自身が「どうするか」です。
受け身では、だめです。望むべき未来を切り拓く。そのために、行動を起こさなければなりません。
■マスコミが隠す麻生太郎
■麻生政権の実績
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テレビ出演はほとんど断っていらっしゃるという藤原氏。たまたま付き合いで出演したテレビで、今の日本人を「我が国史上最低の国民」と言ったのだそうです。すると、もの凄い反響があり…
「よくぞ言ってくれた」というのが大多数だったとか。
これを聞いた城内氏は、
『猛反発されたのかと思いましたが。』
『良識ある人は分かっているのです。』
と、前編はこんな感じで始まります。
「国家の品格」を読まれて藤原氏のファンになられた方、城内氏を応援される方などにはお勧めです。極一部ですが引用します。あとはリンクしてどうぞ。
==引用開始==
藤原氏:
日本人が分かっていないのは、日本は世界の中で、非常に変わった特殊な国であるということです。医療にしても、外国がこれを真似して取り入れようとしてもほとんどやって行けません。たとえば、医者が金儲けに走ったら、頭が痛いという人にCTスキャンなど高額な検査を片端からして何十万と請求します。しかし、日本の医者はそれをしません。ほとんどの医者はそうした利己心がないのです。そうした医者がいて、日本の医療制度が保たれてきたのです。
日本人は医者の人格を信用する。要するに医者は神様のような人という前提の下で皆保険が成立しています。これは日本にしかできません。会社の雇用にしても会社への忠誠心と引き換えに終身雇用する。これも世界に例はありません。また、郵政だってそうです。郵便局で働く人は、汗水たらして山奥のおじいちゃん、おばあちゃんのところへ行って、千円の貯金をもらってくる。中には、いろいろ人生相談にのってあげたりする。
日本というのは何もかもが特異な国で、日本人にしか適応できないやり方で何もかもうまくやってきたのです。ある意味では、日本は国柄だけでやってきた国で、他には何もありません。そうした特殊性を忘れて世界のスタンダードに合わせようとすると、日本のよさが全て失ってしまうのです。国柄を壊したら何もかも目茶苦茶です。
日本人は生物学的能力から言えば、中国や朝鮮と同じと思います。それなにに、文学にしても数学にしても理論物にしても、日本がダントツに抜きんでています。ノーベル賞の受賞者を見ても明白です。それは、日本の特殊な国柄がもたらしたものなのです。
城内氏:
最近私はこの年齢になって、知識よりも、知性、感性、霊性を重んじるよう心掛けています。松尾芭蕉の『古池や蛙飛び込む水の音』という、この五・七・五の中に、日本の心のそこはかとない情緒を感じます。ある意味で言霊(ことだま)的なものがあるのではないか。目に見えない科学の限界を超えたものの見方、考え方に日本人独特の感受性の高さがありました。その感受性のアンテナが、どんどん曇り、鈍化、劣化して、日本人が内在していた良いものが失っていくような感じがしてならないのです。
藤原氏:
霊性という言葉は非常に大切な言葉です。たとえば、日本人は昔から自然にひれ伏してきました。ところが西洋では、人間の幸福のために征服すべき対象としかとらえていない。そこが決定的な違いです。日本人は太古の昔から、人間は自然の一部にすぎないと、常にひれ伏してきたのです。西洋に人間中心の非常に傲慢な態度に比べ、日本人は自然に対して常に謙虚な態度をとってきました。これも一つの霊性からきたものです。
==引用終了==
≪管理人の戯言・独り言≫
甚く同感する藤原氏の言葉です。 日本人には当たり前すぎて、なかなか自覚できない特殊な国という意識ですが、これをある時期からメディアが率先して「日本人はおかしい」「日本はヘンだ」と、恰も自信喪失を促すような論調で垂れ流されてきた事を思い出します。
今だから言える事ですが、敗戦国という以上に短期間で戦後復興や経済成長を成し遂げた国民の底力を正当に評価するよりも、出る釘を打つようないじめ、悪口ばかりだったのは、やはり優秀な日本人に自信と誇りを取り戻させないためのものだったのではないかと、本気で思えてきます。 それは何より、日本が日本らしくあっては困る相手がいる、、、の査証なのでしょう。
そして戦後60年余の歳月を経た今、戦争で生き残った国民が懸命に働き、実直さゆえに仕事最優先の働き蜂と揶揄されながらも、そのお陰で築き上げてくれた経済大国日本の姿は、その功労者たちが現役を退き老後を迎えた今になって、どうなっているのかはご覧の通りの情けない有様です。
誰が悪いのか‥?は問うまでもなく国を動かす政治家の責任は重いはずですが、彼等を選んでしまったのはその選挙区の有権者たちですし、その責任すら気付かないでいる「おらが先生」への賞賛と応援では、今後もまともな政治家が選出されてくるとはとても期待できません。
北朝鮮にあるといわれているレアメタルや地下資源に色目を使い、戦争をすることで大儲けをする超大国に歩調を合わせ、正義も人道も道義も無視する一部の大「越後屋」たちが世界を牛耳っていては、この世は終わりに近づくばかり‥? 又それに便乗しようと我が既得権益を狙う為政者たちの明々白々な恥知らず発言は、今の日本がどれだけ危うい状況にあるのかを見る思いがします。
これは単なる管理人の理想・妄想に過ぎませんが、日本は経済大国の名も、滅茶苦茶な国連の安保理常任理事国入りも目指すことなく、小さいながらも自然豊かで四季折々の美しい自然を大切にしながら、チンマリとゆったりと、心豊かに穏やかな日常を過ごせる国であった方が良いように思います。 外国なんて気にせず、国際社会と競争なんてする必要もない分野で、得意な技術力や持って生まれた器用さを受け継ぎ、実直な国民性で「日本」を特別化することは、逆にそこに新たな価値観も見出せるのではないかと思えます。
勿論、それには外国人移民など必要ありません。
今後食糧難や水不足が予想され、世界の争奪戦は既に始まっているとも言われています。 それなら尚更、慎ましやかに〈勿体ない〉を実践する生活水準に戻る生活が求められてくるかも知れません。
あるもので工夫することや、あるものを有効利用するという知恵は、しかし、この物の溢れた中に甘んじていては工夫する知恵が育ちません。 便利さだけを追求すれば、手間をかける努力さえ面倒に感じられます。 これからは消費するばかりの日常を改め、知恵と工夫と手間を惜しまず掛ける生活にいち早く慣れておく事が、将来の命運を分けることになるかも知れません。 つまり、多く持たない方が有利になる場合もあるという事です。 物に頼らなければ出来ない事を、無くても出来る知恵と工夫する能力を磨いた者は、それを決して失うことはないからです。 そして、お金もかからず、邪魔にもなりません。
管理人の育った時代は、無いところから玉手箱を開けたようにテレビ・掃除機・洗濯機・冷蔵庫と家庭電化製品が次々を作られてきました。 当時の主婦たちはその便利さにどれほど感動し、助けられたでしょう。 しかし、今は生まれた時から存在する便利グッズに囲まれています。 これが全てエネルギー不足や大災害で使えなくなった時、果たしてどうするでしょうか?
我々の世代は無い時代を知っているのでそれほど脅威に感じることはないのですが、現在の若い世代の人たちは果たしでどうするでしょうか? 想像してみることは、無駄ではありません。想像するだけでも、知恵に繋がります。
そしてこの世界には、“まさか”は、ありません。
